青森 大間のマグロ(海峡荘)
値段:2500円
量:ふつーの海鮮丼くらいある。男子大学生がちゃんと食べた気になれる量。
味:いった時期が9月だったので赤身には脂はそんなにのっていなかった。脂が好きな自分からするとおいしいとは思わなかった。しかし、トロに関しては9月でも脂がのっていておいしかった。
総合評価:立地がかなり行きにくいところにあるので、その点がマイナス点だが、トロに関してはそれを覆す。もし冬で赤身もおいしいのなら、ここに行くためだけに青森旅行を計画していいと思う
青森 味噌カレー牛乳ラーメン
値段:780円
量:大盛り結構多く見えるが、内容量はそこまで。スープがめちゃ多い
味:残念ながらみそは感じることができなかった。スープはカレーを牛乳で割ったような名前から予測できる味であった。
総合評価:わざわざ旅行中にここに食べに期待とは思わない。食べるものないけどどうする?っていうときの第一候補。
史上最凶の独裁者 ポル・ポト
皆さんこんにちは、今日は史上最悪の独裁政治をしていたといわれるポル・ポトについて紹介していきたいと思います
ポル・ポトは1975~1979年の間、カンボジアを支配した共産主義の政治的指導者です
彼の生涯を追っていきたいと思います
(子供のころ)
ポル・ポトは首都から160キロ離れた小さな村の裕福な家庭(平均の10倍近くの大きさの畑をもっていた)に生まれた
学生のときパリに留学し、そこで共産主義グループに参加し積極的に活動していく。そこでの活動に熱が入りすぎ勉強をおろそかにしたため、退学に
(政権奪取まで)
ポル・ポトは革命の準備をしていたが、共産主義活動に対する弾圧により、ポル・ポトは僻地に追いやられる
だが、その地で、自分たちの考えを広め地盤を作っていく
そのころ首都では謀反が起こり、軍人であるロン・ノルが、当時王政をしていたカンボジアの王家出身の国家元首を追放する
これを好機と見たポル・ポトは元国家元首と手を組みロン・ノルを撃破(理由:ロン・ノル政権は汚職しまくりで、元国家元首には一定の人気があった)
そうして、ポル・ポトの時代となっていく
(独裁)
「腐ったものは捨ててしまえ」という考えのもと、完璧主義の世界を目指した。
ポル・ポトの思う完璧主義とは、「農民」として畑を耕すことであったため、医師や教師などの役職を持っていた人は役職を没収され農民として過酷な労働をさせられた。
国家がすべてを国民に提供するとしていたため、国民の自由は異常なまでに制約され、たとえば結婚相手も国に決められていた。
(独裁の崩壊)
ベトナムが攻め込まれ、僻地へ逃げる
ここで政権崩壊した
どうでしたか?あのヒトラーより残酷といわれる虐殺を行ったポル・ポト
こういう人を世に出さないために我々は考えていかねばならないようです
悪魔の脳 ジョン・フォン・ノイマン
今回は並外れた記憶力と思考力を持つ男、ノイマンを紹介していきたいと思います。
ノイマンはアインシュタインと同じ時代(第二次世界大戦)を生きた人です
ノイマンの業績としては、コンピューター(ちなみにコンピューターウイルスも作った)を作ったことや、さまざまな理論に数学的意味付けを行ったことがあげられます
ただそんな業績を紹介しても面白くないので、ノイマンの逸話について書いていきます
ノイマンの逸話
- 8歳の時に微積分を終わらせる(アインシュタインでも12歳といわれています。あのアインシュタインに勝っちゃった)
- ある日水爆の効率の計算で、フェルミ、ファイマンと計算の速さを競った。(フェルミ、ファイマンともにノーベル賞受賞者でバケモノです、理系の方ならわかるとおもいます)フェルミは計算尺(そろばんの海外版みたいの)、ファイマンは卓上計算機(つまり電卓)、ノイマンは暗算で計算した。結果、ノイマンが一番早く1番正確に計算した。
- 自分の作ったコンピューターと計算勝負をし、勝つ。「自分の次に計算が速いやつができた」と喜んだらしい
- ノイマンはノーベル賞を受賞してないが、理由はノーベル賞の受賞資格に「人間であること」が含まれているからといわれるほど
- アインシュタインに、この世で1番の天才はノイマンであるといわせた(ノイマンは逆にアインシュタインが1番の天才といっている。仲良しか!)
なんでこうも、偉人たちって規格外なんでしょうね
ノイマンは死後、あまりの天才ぶりに、「彼は人間のふりをするのが非常にうまい悪魔であったが、あまりにうますぎて自分を人間だと思い込んでしまった」といわせたほどでした
不死鳥ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
皆さんルーデルはご存じだろうか?第二次世界大戦中のドイツ軍のパイロットである
彼は不死鳥のごとく戦地に舞い降り次々とバケモノじみた戦果を挙げていく
あのでたらめで有名なアンサイクロペディアがほんとのことしか書けなかったというほどである
そんな彼の戦果はこちら
- 戦車519両
- 装甲車・トラック800台以上
- 火砲(100mm口径以上)150門以上(100mm以下も含めるとさらに増える)
- 装甲列車4両
- 戦艦1隻撃沈
- 嚮導駆逐艦1隻
- 駆逐艦1隻
- 上陸用舟艇70隻以上
- 航空機9機(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち1機は37㎜砲により撃墜)
彼は戦地に戻りたいがために戦績を過少報告してた可能性が高いので、実際はこれよりも多いとされている
そんな彼のすごすぎる逸話はこちら
- 対空砲に計30回撃墜されるも毎回生還
- あまりの戦果に与えられる勲章が尽きてしまい、彼のために新たな勲章ができる
- 過少報告を行うも、破壊者不明の戦車が多数見つかり、ばれる
- 片足を失うも、治療の最中に戦地へ
- 「味方飛行場以外での着地を禁ずる」という意味不明の命令を出される
- 懸賞金が7億円弱かけられる(ワンピースの世界か!)
もはや人外の域に達している気が、、、
ここまでくると笑えてくる
不死身の人間 舩坂弘
(旧日本軍が素晴らしいとかいうつもりはありません、単なる紹介です)
舩坂弘とは、第二次世界大戦で旧日本軍の分隊長で、大戦を生き抜いた人です
そんな人を今回は紹介していきたいと思います
1920年栃木県に生まれた舩坂は軍人としてエリートで、第二次世界大戦のとき一番重要な戦場に派遣されます
一番重要、つまり裏を返せば一番過酷な場所に派遣されたのです
アメリカ軍2万2000人に対し旧日本軍1200人
そんな過酷な中、舩坂は左足左腕を負傷、さらに右手首捻挫をしてしまうも、自陣まで負傷した仲間を担いで帰還(帰還途中に敵兵を発見したがそれも撃破)
やっとの思いで帰還するも、軍医はこの傷では復帰は不可能と判断し、自決用の手りゅう弾を渡します。医師から見て助からない傷だったわけです
しかし、舩坂はここで終わりません。その手りゅう弾で、敵陣地の司令塔に突撃します
ただ、手負い状態の舩坂は敵兵に見つかり首に被弾してしまいます
そして、致命傷を負った舩坂は、敵軍の遺体安置所に置かれます
でもまだ終わらない舩坂。致命傷を負ったはずの舩坂は安置所で蘇生
そのまま、敵陣地で再び戦います、捕虜になったあともいろいろと画策していたようです
大戦は終わり平和に向かって言った世界で、舩坂は2006年まで慰霊碑を立てたり、仲間の遺骨を拾い続けていたそうです
どうでしたか?本当に不死身と呼ばれるような生き様でしたね
ただ、このような熱意溢れる人が戦争でつかわれて、その後も戦争のために生きていくのが少しもったいないなと思ってしまいます
戦争はよくないですね、いい人材を国が殺しているようなものです
次回は、不死身つながりでハンス・ウルリッヒ・ルーデルを紹介したいと思います(また戦争系の話になってしまいますが)
おたのしみに!
実は人間味のあるアインシュタイン
現代の物理の基礎を作ったアインシュタイン
今日はそんな天才に迫っていきたいと思います
アインシュタインは1879年にドイツで産まれました(日本ではだいたい伊藤博文が初代首相になったくらい)アインシュタインは小さいころから超頭がよく、小学6年生くらいで高校数学以上のことを独学で習得したそうです
そんなアインシュタインが26歳の時に発表したのが、皆さんご存じ「相対性理論」
簡単に言うと、あなたの感じる1秒と私の感じる1秒は違うという理論です(←url貼ったのでぜひ見てください)
この理論は今までのあたりまえを壊し、その後そして今の物理の基礎になっているので驚きです
そんな完璧そうに見えるアインシュタインですが、実はそうでもないんです
まず、めっちゃ癇癪もちで怒ると机やら椅子やらを投げまくっていたそうです笑
なんか人間ぽい笑
さらに、こんなに頭がいいのに、学術界で仕事を得るのに10年もかかったそうです
なにをやっているんだ笑、ただ、そのおかげで自分の好きな時に好きな研究をできたのかもしれませんね
そして意外だったのが、核戦争反対運動や黒人差別反対運動を自ら起こし、活動していたことです
勝手に社交的なひとではないのかなと思っていたので、自ら社会に出ておかしいことをおかしいといえるアインシュタインはすごいなと思いましたね(ちなみに、ご近所さんとよくおしゃべりをしていたようなのでめっちゃ社交的です)
知性も1番、人間性も優れているこんな人になりたいと思ったアインシュタインでした